まなぶ

冷静な環境活動と情熱の国際支援の間

2014年12月12日 3:24 PM まなぶ--グローバル

国際協力団体BWP(Bringing World Peace)プロジェクトは12月6日、京都外国語大学で「Presentation for Peace」を開いた。国際協力や環境活動をする学生・企業が活動をプレゼンした。論理を組み立て冷静な環境活動と、国外の生の現実に触れ情熱を燃やす国際支援活動との違いと共通性が示された。(オルタナS特派員=崎浜 公之)

主催者のメンデス・ルイスさん

主催者のメンデス・ルイスさん

同イベントには、総勢83人が参加した。プレゼンに登壇した団体は、学生からは、エシカルキャンパスアワードでグランプリに輝いた「関西あおぞらプロジェクト」やエコ・リーグなど。加えて、JICAやパン・アキモトなど学生以外のプレゼンターからの発表も行われた。

環境活動の冷静と胡散臭さ
 
環境活動の視線は冷静である。それは、環境活動の成果が、合理化によってもたらされることに起因する。資源・エネルギーの観点から見れば、再循環させること、再利用すること、廃棄物を減らすことなど、「無駄をなくすこと」が成果となる。

もしくは、生態系の観点から見れば、生物多様性の危機を訴える手段として、生態系サービスという、生態系の経済的な効果を示す考え方が用いられ、生態系を守ることでいかに「無駄をなくせるか」が重視される。どちらも、鳥瞰図的に社会を見渡し、効率化をはかることで、「持続可能な社会」を目指すものである。

ただ、環境問題は、人々にとって体感しづらい問題だという点に注意しなければならない。環境問題は、現在のところ、その一端が表出しつつも、多くの人々にとって、未だ具体的な実感を伴う問題ではない。

それ故に、環境活動は、具体的な現実とは正反対の方向、抽象的な「持続可能な社会」という、不明確で多様な解釈を許す標語に依拠せざるを得ない。環境活動が冷静であると同時に胡散臭く感じるのは、論理の元が具体的な現実ではなく抽象的で曖昧な標語に依拠しているからだろう。

国際支援の情熱と物足りなさ

一方、国際支援の視線は情熱的である。それは、海を超えた先の国々には、具体的に困っている人々が存在し、その経験を元に理念が形成され、活動が展開されるからである。

例えば、カンボジアの子供たちは、手洗いさえもままならない。手洗いさえすれば、多くの感染症を予防することが出来るのに、なかなか習慣づけることができない。関西あおぞらプロジェクトでは、そんな子供たちに手洗いを教える活動をしている。

もしくは、同じくカンボジアの子供たちは、学校に通うことすらできない。学生国際協力団体CREDOでは、CREDO SCHOOLという学校を建て、子供たちに教育を受ける機会を与えている。また、そのような恵まれない子供たちに、勉強の機会を与えるため、Study for Twoでは、日本の大学生の教科書を中古販売し、そのお金を奨学金として、ラオスの子供たちに寄付している。

今回のイベントでは、20歳にも満たない学生たちが、熱っぽく東南アジア諸国の現状について語る姿が印象的で、刺激的であった。

しかしながら、彼らの語りはどこか一方的で、物足りなさを感じる。それは、議論の貧しさに起因するのかもしれない。例えば、「手洗いさえ」できない、「学校さえ」行くことができない、「教育さえ」受けることができないという時の彼らの「豊かさ」の尺度は、とても先進国的である。

先進国の私たちにとって当たり前のことが、途上国の子供たちには当たり前ではないことが、「かわいそう」というわけである。もちろん、多くの場合、それは必要なことであり、正しいと言えるが、国際支援の代名詞ですらあるJICAでさえ、「開発」という言葉を何の気なく使ってしまうことには、どこか残念な気持ちになった。

異国の空の下の子供たちに想いを馳せ、我が事のように語る彼らの姿は本当にすばらしい。しかし、現地でのかけがえのない経験が、既存の議論の枠組みに絡めとられてしまっている現状は、どうも考え直す必要がありそうだ。
 

プレゼンター集合写真

プレゼンター集合写真

冷静な環境活動と情熱の国際支援の間

今や、冷静な環境活動と情熱の国際支援の間について考えなければいけない。そのためには、環境問題と国際問題を、ある一つの論理的な枠組みでとらえ直すことが必要だろう。それは、時間と空間の二軸を据えた、自己と他者との関係の問題としてとらえ直す枠組みである。

環境活動が胡散臭さを取払い、情熱を取り戻すには、その活動の依拠するところを、国際支援が依拠するような、他者に置かなければならないだろう。環境問題は、問題を引き起こす「いま、ここ」のじぶんと、被害を受ける当事者である「いつか、どこか」のだれかとの関係の問題としてとらえ直すことができる。

例えば、ポイ捨ては、「いま、ここ」でポイ捨てをするor見て見ぬふりするじぶんと、「いつか、どこか」で迷惑を被るだれかとの関係の問題であるし、原発は、「いま、ここ」の経済的なメリットと「いつか、どこか」のだれかの命との関係の問題である。私たちは、自己と他者との関係において、情熱を燃やすことが出来るのではないか。

一方、国際支援が物足りなさを払拭し、冷静を取り戻すには、現状に対する俯瞰した視線が必要だろう。国際問題は、「いま、ここ」の私たちと、「いま、どこか」のだれかとの関係の問題としてとらえ直すことができる。

国際問題は、その意味において、「いま」の私たちの「豊かさ」と「いま」の異国のだれかとの比較を問題にしているが、私たちの「豊かさ」の尺度においてその水準を引き上げることの矛盾はどこかで感じなければならない。

必要なのは、「いつか」の視点ではないだろうか。「いつか」世界全体が「いま」の私たちの「豊かさ」の水準に引き上がれば、それは破綻を意味するだろう。むしろ私たちは、彼らに学ばなければならない。1ドル以下の暮らしが、「不幸」であるとは言い切れないのだから。

「いつか」の視点を持てば、いわゆる途上国の人々の「生き方」から学ぶことは多い。私たちは、彼らの「豊かさ」ではなく、「生き方」に議論の焦点を当てるべきではないか。

ここまで、いわゆる別々の問題として扱われることの多い「環境問題」や「国際問題」を、ある一つの枠組みでとらえ直し、整理した。私たちは、互いの視線を行き来することにより、冷静と情熱の間のハイブリッドな視線を獲得し、問題を見つめ直すことが出来るだろう。BWP主催の今回のイベントは、そのような気づきを与えてくれる貴重な機会となった。

−参考記事−
・関西あおぞら掲載記事 http://alternas.jp/study/news/55473
・エコ・リーグ掲載記事 http://alternas.jp/study/news/55018

−発表団体一覧−
◆国際協力機構
JICA http://www.jica.go.jp/
◆特定非営利活動法人
南東アジア交流協会 http://www.saeajapan.jp/
地球環境保護団体GAEA http://myhomelandgaea.com/
エコ・リーグ http://el.eco-2000.net/
◆企業
株式会社パン・アキモト http://www.panakimoto.com/
◆学生団体
関西あおぞらプロジェクト http://kansaiaozoraproject.wix.com/kansaiaozoraproject

学生国際協力団体CREDO http://ameblo.jp/wearecredo/
Study for two http://studyfortwo.org/
Habitat http://www.habitatjp.org/
TABLE FOR TWO http://jp.tablefor2.org/
◆主催団体
国際協力団体BWP http://mendezluis73.wix.com/connection#!credo/c1zz4


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