まなぶ

ゆっくりと前へ―避難指示解除から半年、小高区

2017年2月15日 10:32 AM まなぶ--フューチャー

「ポーッ」という汽笛を鳴らしながら、電車がJR小高駅に停車した。去年の3月に小高を訪れたときには、聞こえなかった音、見られなかった風景だ。(文・写真:横浜支局=細川 高頌・横浜国立大学教育人間科学部4年)

JR小高駅に停車する電車

2016年7月12日、原発事故により南相馬市に出されていた避難指示の大部分(ただし、区内でも比較的放射線量の高い「帰還困難区域」に指定されている1世帯を除く)が解除され、それに伴い、JR常磐線も原ノ町〜小高区間で運転を再開した。

震災当時12,842人だった小高区の人口は、2017年1月時点で1,132人と、震災前の1割ほどに減った。

「それでも、小高に残るのか、移住するのか、決断できる状態になったことは大きい」。小高区で住民交流スペース「おだかぷらっとほーむ」を運営する廣畑裕子さんは言う。

地元小高で交流スペースを運営する廣畑さん

避難指示が解除されるまでは、戻れるのかどうかも分からず、決断さえできない人も多かった。廣畑さんの自宅は小高区の海岸近くにあり、現在は同じ南相馬市の鹿島区で生活しながら小高に通っている。「小高以外の場所では『よそ行きの自分』になってしまう。小高は素の自分でいられる落ち着く場所」と廣畑さん。

去年の7月に比べれば、小高で生活をする人の数は徐々に増えている。来年の春はもっと増えているのではないか、もっと状況は良くなっているのではないか、そう思いながら、廣畑さんは小高に来た人がフラッと立ち寄って休める場所を提供している。

「でもそれはある意味、無理やり前を向こうとしているのかもしれない。そうしないとやっていけない面もある」。避難指示が解除され、本格的に生活が再開したことへの期待と不安が入り混じる答えだった。

■東電社員「温かさに感謝」

駅と反対方向へ少し進むと、最新のJ-POPが聴こえてくる「小高浮舟ふれあい広場」がある。広場を運営しているのは東京電力の社員、千葉清和さん(58)だ。

千葉さんは原発事故後の2013年に、住民の相談員として小高にやってきた。今は広場の運営の他、東電社員と一緒に住民の家の掃除などを手伝っている。

それまでは福島市や郡山市などの都市部にあった東京電力福島復興本社の事務所は、「地元密着でありたい」と去年の8月から小高区内にも作られた。

広場でカフェを運営する地元の女性と千葉さん

「最初は不安だった。住民の皆さんに迷惑をかけているので、受け入れられないと思っていた」。しかし小高に来てみると、多くの住民が温かく迎えてくれた。

「最近では積極的に声をかけてくれる人も増え、頭が下がる。今は一人でも多くの人が小高に戻って来られるよう、お手伝いしたい」。千葉さんは千葉県船橋市から単身赴任している。以前は家族に、「福島に行ってくる」と伝えていたが、いつの間にか「福島に戻る」と言うようになっていたという。

「自分の子どもに指摘されて驚いた。自分にとって小高はそれほど居心地のいい場所なのだと思う」。広場では、千葉さんが地元の人と一緒にカフェも運営している。

■あだなは「放射能」の中学生

今年の4月からは、小高区内の学校も再開される。それまで2校あった小高区内の高校を統合し新設する「小高技術産業高校」に通う予定だという中学3年生の男の子に話を聞いた。

男の子の家があるのは、小高区に隣接する原町区。震災のときはまだ小学1年生だった。「あんな揺れかた、現実とは思えなかった。今でも地震はあるけど、前に比べれば慣れたかな」。

男の子は震災後、親戚の住む埼玉県に半年間避難した。「転向した学校で、『放射能』というあだ名をつけられ、いじめられた。でもいじめるやつほど放射能とは何なのか、どれほどの数値だと危ないのか、全然知らないんですよね」。

避難によって新しく気付いたこともあるという。「初めて福島の外を見て、自分の世界が広がったし、改めて福島の良さを知った」。

福島のどこが好きか、聞いてみた。「そう聞かれると、人の温かさとしか言えないかも」。少し照れながら男の子は続ける。「あと、福島の米が一番美味い。福島の食べ物が一番安全ですよ。毎日検査をして、基準をクリアした食べ物しか並ばないんだから。検査されていない他県の食べ物よりもよっぽど安全」。

男の子は将来、福島のためになる仕事がしたいという。「今は小高の街はほとんど爺婆しかいないけど、だからこそ僕たち若い世代の力が必要なんだろうなという雰囲気が街から伝わって来る。ある意味、これほど「復興しがい」のある街も珍しいですよね」。

■入学児童、4校で6人

街を歩くと、それぞれの人が、それぞれの想いを持ってこの街と向き合っていることが分かる。中には、行政に対して怒りをぶつける人もいた。それでも、この街と関わっていくと決めた人たちだ。

「人口は少なくなっても、今この街に住んでいる人は、小高が大好きな人ばかり。こんな街なかなかないよ」。別れ際に廣畑さんが言った言葉だ。

この街には、都会に暮らしている人々には分からない「想い」が溢れているのだと思う。

もちろん、懸念もある。南相馬市が行ったアンケートでは、学校が再開した場合の通学希望者は14%しかおらず、小学校の新入学児童は小高区にある4つの学校を合わせても6名だ。

生徒の数は減少している。すでに避難指示が解除されている地域の帰還率を見ると、2014年に避難指示が解除された田村市都路町は55,4%の住民が帰還しているが、2015年に解除された樽葉町の帰還率は8,7%と、地域の中でも帰還率に差が出始めている。小高を訪問し、生活する人を増やしていくことが今の街の課題だ。

男の子と別れ、小高駅で電車を待っていると、制服を着た学生が続々とホームに入ってくる。時刻はちょうど放課後の時間だ。

「子どもたちが帰ってくること自体が希望なんだよね。登校する子どもたちの姿を見るのが、今の楽しみ」。そう話す住民がいた。去年までは、制服を着た学生の姿を見ることはほとんどなかった。ホームでふざけ合う学生の声を聞きながら、「急ぐ必要はない。ゆっくり、街も人も前を向いていけばいい」という住民の声を思い出した。

(左)小高駅前。シャッターの閉まった店舗が目立つが、お店を再開させる人も徐々に増えている(右)小高区の海岸近くにあった看板。奥には放射線廃棄物が積み重なっていた

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