はたらく

聴覚障がい者によるデフバスケ代表を率いる僧侶

2017年1月24日 4:53 PM はたらく--挑戦者たち

聴覚障がい者らがプレーするデフバスケットボールの男子日本代表監督を務める上田頼飛(よりたか)さんは真言宗山階派の僧侶でもある。バスケの指導で選手に求めることは、戦術理解や技術よりも、「日常生活での態度」だ。社会生活が上手くできなかったら、「そもそもスポーツはできない」と言う。(オルタナS副編集長=池田 真隆)

試合前、デフバスケットボールの選手と円陣を組む上田監督(左奥)

僧侶としてお経をあげる上田さん

上田さんは僧侶とデフバスケットボール監督という2足のわらじで活躍するが、それだけではない。デフバスケットボール協会への普及協力をおこなうNPOを立ち上げ、講演活動や企業の社員研修の企画も行う。

4枚の名刺を持ちながら働くが、それは、バスケットボールで培ったコミュニケーションスキルがあってこそ。

しかし、デフバスケ男子の監督に就任した当初は苦戦したという。「就任当初は、選手に伝えたいことの3分の1しか伝わらなかった」と明かす。「相手のことを考えて発言しているつもりだったが、そうではなかった。自分の顔だけでなく、口を見せて話せていなかった」。

指示はホワイトボードを使い、ジェスチャーを交えて伝える

デフバスケットボール選手と交流することで、コミュニケーションの取り方に変化があった。「遠くにいる人を呼ぶ時、大声で呼ぶことはその人を下に見ている証拠ではないか。尊敬している人を大声で呼ぶか。声を張りあげないで、その人の目の前に自分が走っていけばいい」

選手には、戦術理解や技術よりも、「日常生活での態度」について厳しく指導する。その理由は、「社会生活が上手くできなかったら、そもそもスポーツはできないから」だ。選手たちには、「まずは、それぞれの職場で認めてもらい、練習に行ってほしいと言わせるようになりなさい」と伝えている。

この指導が功を奏し、2015年には台湾で開かれた世界選手権大会で特別コーチ賞を、大阪バスケットボール協会からは優秀コーチ賞を受賞した。

■バスケとの出会い

上田さんは1981年大阪生まれ。バスケットボールに出合ったのは、小学5年生の時。小学校の体育館を解放して行っているミニバスケットボールに参加した。

中学では一人目の恩師と出会う。その男性教師は、学校で落ち着きがなく目標のない上田さんを見つけると、「教育」として、顧問を務めていたバスケットボール部へ強制的に入部させた。

子ども向けに講演活動も行う

負けん気の強かった上田さんは次第に、バスケットボールにのめり込んでいった。

高校でも、2人目の恩師に出会う。高校バスケットボール部の顧問も、中学校の教師同様に、上田さんが学校や部活動を休んでも、見捨てなかった。

2人の教師は、上田さんだけでなく、学校に来ていない生徒にさりげなく声をかけていた。上田さんはその姿を見ていたので、練習中は厳しい言葉で叱られるが、「温かみがあった」と話す。褒めてもらう時の、「やったらできるやん」が今でも耳に残っているという。

高校卒業後は日本文理大学に進学。2年で中退の後、2年間の編入浪人を経て大阪体育大学に進学した。プロのバスケットボール選手を目指していたが、指導者に転向。高校生に教えていたが、2014年に知り合いからデフバスケットボール男子の日本代表監督の打診を受けた。

デフバスケットボールについてはそれまで関わりがなかったが、抵抗はなかった。中学生の頃から、外国人と混ざって、ストリートバスケットボールをしていた。「彼らの話す言葉を聞き取ることができなかったけど、連携してプレーはできた。だから、聴覚障がいの選手たちとも同じようにできた」。

僧侶になったのは、2015年。妻の実家が寺で継ぐことを決めた。午前中はお寺で僧侶として働く。

デフバスケ男子の監督として目指すのは、「選手が子どもたちの憧れになること」。「プレーだけでなく、日々の姿勢から、あの人みたいになりたいと思ってもらえるような選手を育てたい」と言う。

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