はたらく

コープこうべの歴史 戦後、消費者運動の拠点に(2/3)

2016年5月18日 4:08 PM はたらく--エシカルな働き方

第二次世界大戦後、急速に変わる生活環境に対し、コープこうべは組合員とともに続々と消費者運動を起こした。物価値上げ反対運動や有害食品追放運動、家庭会を中心としたチャリティー活動など。そうした組合員の声に応えながら、コープこうべは成長していった。(辻 陽一郎=「NPO新聞」代表)

協同組合の運動は創世期から女性が活躍した、写真は「家庭会」

協同組合の運動は創世期から女性が活躍した、写真は「家庭会」

■戦後、60の家庭会が誕生、成長するコープこうべ

第二次世界大戦が終結すると、第一次世界大戦のときと同様、時代は急激なインフレに見舞われた。闇市では、法外な価格での取引が行われ、消費者は苦しい状況にあった。

しかし、灘、神戸両生協は組合員の生活を支えるために、公平な取引を徹底した。こうした行動が消費者の信頼を勝ち取り、組合員数は増加、徐々に生協活動も拡大していった。

神戸消費組合では、誕生当時から主婦ネットワーク組織である家庭会による活動が活発に行われ、1万5千人の家庭会会員となり、「授産部」の新設や裁縫などの教えあい活動などに取り組んだ。灘購買組合でも、戦後、生協の活動が復活すると共に家庭会も再び始まり、60ものグループが誕生した。

1962年に灘、神戸両生協が合併し灘神戸生協という組合員数4万5千人の日本で最大の生協となった。

■スーパーマーケットの台頭、役割を問われる生協

消費者の信頼を得て、順調に成長する灘神戸生協だったが、60年代にスーパーマーケットが台頭し、安泰ではいられなくなった。スーパーマーケットの戦略は、大量仕入れ、大量販売によって、コストを下げる手法だ。灘神戸生協も価格競争を余儀なくされた。

この競争は、灘神戸生協に生協の役割を再確認させるものだった。どれだけ価格を落としてもこだわるべきは品質。消費者の生活を守ることが目的の組織として、利益率が下がっても品質は下げなかった。

一方、確かな品質を自ら生産し育てることで、生協がめざす「消費者を守る運動」を広げていこうと、コープ商品の開発を本格的にスタートした。メーカーと提携したり、規格を指定してメーカーに発注する方法で、ハチミツ、洗剤、カッターシャツなど生活必需品を中心に、コープマークのついたオリジナル商品をつくっていった。

■組合員の問題意識から、消費者運動が活発化

生協は、新しい社会問題が生まれると、消費者の目線で活動の形を変えてきた。戦後、高度経済成長で、工業化が進み、生活は便利になったが、公害問題が発生するなど、安全・安心の社会からは遠のいてしまった。

こうした社会情勢のなか、数々の消費者運動が起こり始めた。食品添加物や残留農薬、防かび剤の問題への取り組み、せっけん普及活動、物価値上げ反対運動や、1978年には、現在では当たり前となっている「買い物袋再利用運動」を実施した。

また、核兵器完全禁止を要請する署名活動などの平和への取り組み、高齢組合員の援助を中心とした「くらしの助け合いの会」「コープふれあい食事の会」など、消費者運動にとどまらない幅広い活動を展開した。

時代が大きく変わっても、灘神戸生協のポリシーは変わらなかった。灘神戸生協は常に「消費者目線」で、組合員の暮らしを豊かにするための活動に奔走していった。

関連記事